1906(明治39)年 |
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5月9日、北海道松前郡小島村字雨垂石村(現在松前町静浦)において金子賢治とカクの間に4男として生まれる。本名賢蔵。 |
1915(大正4)年 |
9歳 |
松前郡江良町に転居。父は大島村役場収入役、家は雑貨及学用品商を営み、主に母が経営にあたる。 |
1916(大正5)年 |
10歳 |
9月、江良町尋常小学校4年生の時、飯田吉次郎教師新任。習字作品を激賞され、書に関心を寄せる。 |
1921(大正10)年 |
15歳 |
3月、松城尋常高等小学校高等科卒業。4月、札幌鉄道教習所普通部業務科入学。大塚鶴洞が習字の指導を担当。9月、弟恭蔵永眠(享年10歳)。10月、母カク永眠(享年50歳)。 |
1922(大正11)年 |
16歳 |
大塚鶴洞宅を訪れ、書の世界の広大さを知る。初めて古典(北魏高貞碑)を学習。 |
1923(大正12)年 |
17歳 |
12月、父賢治永眠(享年58歳)。 |
1924(大正13)年 |
18歳 |
3月、札幌鉄道教習所卒業。南小樽駅勤務。6月、川谷尚亭主宰の『書之研究』誌購読、入門。 |
1925(大正14)年 |
19歳 |
伊藤東海が現代書道名家30余名の展覧会を小樽、札幌、旭川にて開催。初めて大家の真蹟に接し感動する。 |
1926(大正15)年 |
20歳 |
小樽駅に転勤。川谷尚亭の通信教育を受ける。 |
1927(昭和2)年 |
21歳 |
健康優れず札幌鉄道局退職。松前の次兄のもとで静養。 |
1928(昭和3)年 |
22歳 |
4月、函館師範学校本科二部入学。 |
1929(昭和4)年 |
23歳 |
3月、函館師範学校卒業。札幌北光小学校赴任。9月、書家比田井天来札幌に書会のため来遊、上京して学書することを勧められる。 |
1932(昭和7)年 |
26歳 |
5月、上京、本所高等小学校代用教員となる。天来の書学院にて書の研究に励む。 |
1933(昭和8)年 |
27歳 |
4月、大橋栄子と結婚。上田桑鳩が書道芸術社結成。手島右卿、桑原翠邦、大澤雅休らと共に同人。『書之研究』誌に「新調和体」「漢詩偶像」「会場芸術」等の論説を発表。 |
1935(昭和10)年 |
29歳 |
7月、長男元博誕生。 |
1936(昭和11)年 |
30歳 |
1月、『書之理論及指導法』刊行。10月、『大字臨範』刊行(共著)。 |
1937(昭和12)年 |
31歳 |
8月、第1回大日本書道院展覧会、天来の単独審査で特別賞を受ける。 |
1938(昭和13)年 |
32歳 |
4月、長女暢子誕生。11月、東山農事(3菱)株式会社入社。 |
1940(昭和15)年 |
34歳 |
3月、『唐太宗・虞世南』刊行。 |
1943(昭和18)年 |
37歳 |
2月、次男卓義誕生。 |
1946(昭和21)年 |
40歳 |
7月、第1回日本書道美術院展覧会、理事出品。以降18回展まで出品。 |
1948(昭和23)年 |
42歳 |
8月、毎日新聞社主催毎日書道展創設、第1回展覧会に運営委員、審査部長として出品。 |
1949(昭和24)年 |
43歳 |
8月、随 社結成。東京都美術館運営参与(2年間)。 |
1950(昭和25)年 |
44歳 |
3月、京都の中野越南宅を訪問、以降親交深まる。4—9月、富山、魚津、室蘭、旭川、札幌、函館等にて毎日書道展出品者の指導にあたる。10月、東山農事退職。 |
1951(昭和26)年 |
45歳 |
2月、桑原翠邦との共同執筆にて『高等臨範』4冊刊行。4—10月に徳島、博多、魚津、函館、札幌、旭川、名寄、釧路等にて毎日書道展出品者の指導にあたる。以降昭和40年まで各地を遊歴、指導。 |
1952(昭和27)年 |
46歳 |
4月、「全国戦没者追悼之標」揮毫。 |
1953(昭和28)年 |
47歳 |
3月、3省堂新活字デザインのため入社、1957年退職。9月、東京都美術館運営参与(以降35年間)。 |
1954(昭和29)年 |
48歳 |
3月、第6回毎日書道展より「近代詩文」と「墨象」が独立部門として新設決定。4月、文部省高等学校芸術科書道指導要領小委員会委員(2年間)。河出書房『定本書道全集』の編集委員として、解説の執筆などに携わる。 |
1955(昭和30)年 |
49歳 |
10月、溝口健二監督映画「赤線地帯」のタイトル揮毫。 |
1956(昭和31)年 |
50歳 |
10月、黒澤明監督映画「蜘蛛巣城」のタイトル揮毫。 |
1957(昭和32)年 |
51歳 |
4月、第1回随 現代書展(銀座松坂屋)、以降昭和45年まで開催。宇都宮大学書道講師(1年間)。 |
1958(昭和33)年 |
52歳 |
5月、第1回訪中日本書道代表団(団長豊道春海)に参加。 |
1959(昭和34)年 |
53歳 |
7月、第1回現代詩書展(銀座松屋)、以降昭和37年まで開催。『書の古典研究』刊行。書芸文化院『書道名品大系』の解説執筆。 |
1960(昭和35)年 |
54歳 |
3月、日展会員に推挙される。 |
1961(昭和36)年 |
55歳 |
4月、北海道学芸大学札幌分校講師(7年間)。11月、日展審査員(以降昭和56年まで)。 |
1963(昭和38)年 |
57歳 |
1月、第15回毎日書道展より「刻字」部門の新設決定。8月、「全国戦没者追悼之標」揮毫(以降歴年)。 |
1964(昭和39)年 |
58歳 |
1月、日本書道美術院を円満退会。3月、創玄書道会設立、会長に就任。日展評議員(昭和44年まで)。 |
1965(昭和40)年 |
59歳 |
2月、第1回創玄展(東京都美術館)、以降歴年。 |
1966(昭和41)年 |
60歳 |
5月、「金子鷗亭近作書展」開催(日本橋3越)。11月、第9回日展出品作「丘壑寄懐抱」が文部大臣賞受賞。12月、NHK教育テレビ婦人百科「漢字・近代詩文書」開講(4カ月間)。 |
1967(昭和42)年 |
61歳 |
5月、昭和41年度日本芸術院賞受賞。 |
1969(昭和44)年 |
63歳 |
3月、日展改組、理事に就任。 |
1970(昭和45)年 |
64歳 |
3月、パリ・チェルヌスキー美術館にて「日本の書と絵画展」開催、渡欧。4月、光村図書出版刊『小学書き方』文部省検定合格。5月、松前城石碑除幕式参列。『書法究尋』刊行。 |
1971(昭和46)年 |
65歳 |
2月、硫黄島慰霊碑揮毫。 |
1973(昭和48)年 |
67歳 |
3月、比島戦没者の碑揮毫。7月、近代詩文書作家協会創立、理事長に就任。8月、妻栄子永眠(享年66歳)。11月、訪中書道代表団(団長中村梅吉)に参加。 |
1974(昭和49)年 |
68歳 |
3月、中部太平洋戦没者の碑揮毫。4月、天来記念館(長野県佐久市)の起工式に参列、翌年開館。9月、山中寛子と結婚。 |
1975(昭和50)年 |
69歳 |
4月、日展常務理事(昭和54年3月まで)。8月、「全国戦没者之霊」標柱揮毫(以降平成5年まで)。ブラジル・サンパウロ美術館他にて「現代書道ブラジル展」開催、渡伯。 |
1977(昭和52)年 |
71歳 |
12月、日展代表の1員としてナショナル・ギャラリー建設に関する請願書を関係政府機関に提出。 |
1978(昭和53)年 |
72歳 |
6月、文化庁国立文化施設整備調査研究会委員(委員会5回)。9月、日本書道家友好訪中団団長として訪中。10月、パリ・ソルボンヌ大学にて「日本の書の美展」開催、渡仏。 |
1979(昭和54)年 |
73歳 |
4月、日展参事(昭和56年まで)。5月、「現代日本の書巨匠八人展」開催(東急日本橋)。8月、『金子鷗亭の書業』刊行。 |
1980(昭和55)年 |
74歳 |
『古碑帖臨書精選』刊行(共著)。 |
1981(昭和56)年 |
75歳 |
1月、財団法人毎日書道会理事。4月、日展常務理事(昭和57年まで)。「川端文学燦文集による個展」開催(銀座松屋)。11月—翌年までに各種展覧会出品作約350点及び美術図書を函館市に寄贈。 |
1982(昭和57)年 |
76歳 |
3月、沖縄戦没者墓苑題字銘文揮毫。4月、日展参事。川端文学燦文集個展を札幌と函館にて開催。東京都美術館運営審議会副会長就任(昭和60年まで)。10月、紺綬褒章受章。 |
1983(昭和58)年 |
77歳 |
4月、勲三等旭日中綬章受章。7月、近代詩文書作家協会、会長就任。10月、文部省より社団法人創玄書道会認可、理事長就任。 |
1984(昭和59)年 |
78歳 |
4月、『書とその周辺』刊行。 |
1986(昭和61)年 |
80歳 |
北海道立函館美術館に自作品107点、古美術、図書等を寄贈、創玄書道会がブールデル、ルノアール、ロダンの彫刻等を寄贈。9月、道立函館美術館開館、 亭記念室開室。 |
1987(昭和62)年 |
81歳 |
1月、第22回創玄展出品作「交脚弥勒」が昭和61年度毎日芸術賞受賞。7月、毎日芸術賞受賞記念「金子鷗亭書業六十年のあゆみ展」開催(銀座松屋)。10月、「現代書の父—金子鷗亭六十年のあゆみ展」開催(道立函館美術館)。11月、文化功労者顕彰。 |
1988(昭和63)年 |
82歳 |
4月、毎日書道展40周年記念、北京展団長。10月、ウィーン展団長。ウィーン、パリ、マドリッドを訪問。 |
1989(平成元)年 |
83歳 |
10月、北海道開発功労賞受賞。 |
1990(平成2)年 |
84歳 |
11月、文化勲章受章。12月、毎日書道展40周年記念、シンガポール展団長。12月、松前町名誉町民。 |
1991(平成3)年 |
85歳 |
10月、「文化勲章受章記念金子 亭書展」開催(日本橋 島屋)。 |
1992(平成4)年 |
86歳 |
9月、全国戦没者追悼式の標柱揮毫30年連続に際し政府より感謝状。 |
1993(平成5)年 |
87歳 |
5月、「北海道立函館美術館コレクションによる金子鷗亭—四季を謳う」展開催(板橋区立美術館)。 |
1994(平成6)年 |
88歳 |
5月、松前町に金子 亭銅像が建てられる。10月、東京都名誉都民。 |
1995(平成7)年 |
89歳 |
10月、「金子鷗亭小品展」開催(日本橋高島屋)。 |
1997(平成9)年 |
91歳 |
3月、新宿区名誉区民。9月、天皇より従三位に叙される。 |
2001(平成13)年 |
95歳 |
11月5日永眠。 |